八犬士の生年月日一覧を再度載せます。
・犬山道節 1459年(長禄三年)9月戊戌の日生(晩秋)
・犬飼現八 1459年(長禄三年)10月20日生(冬)
・犬田小文吾 1459年(長禄三年)11月某日(冬)
・犬川荘助 1459年(長禄三年)12月1日(冬)
・犬塚信乃 1460年(寛正元年)7月戊戌の日生(初秋)
・(犬村大角 1460年生月日不明)
・犬坂毛野 1465年(寛正六年)12月某日(冬)
・犬江親兵衛 1475年(文明七年)12月某日(冬)
*1.これは旧暦であるため12月生まれの荘助・毛野・親兵衛はグレゴリオ暦でいうならば翌年の初めの生まれになるそうです。
*2.なお生月日不明の大角に関しては、筆者の個人的思惑により12月生まれにします。ここでしか見られない設定ですので、どうか本気になさらないようにお願い申し上げます。
*3.雛衣や孝嗣なども満年齢は数え年のマイナス2歳としておきます。ここでしか見られない(以下同上)
*4.西暦を使う場合は新暦の日付を使うのが正式なのだそうですが、そんな難しいことは解りませんので原作中の日付を使います。ご了承ください。
1478年(文明十年)八犬士列伝本格スタートからの表です。列伝開始前の年表は前半へ
1478年(文明十年) | ||
八犬士列伝本格スタートの年 | ||
春 | 見八獄舎長に転属 しかしすぐに辞表を提出、獄に繋がれる | 現八18歳(20歳) |
6月 | 円塚山の戦い・芳流閣の決戦・古那屋の悲劇などが起こる | 信乃17歳(19歳) 荘助・道節・現八・小文吾18歳(20歳) 親兵衛2歳(4歳) 房八20歳(22歳) 沼藺17歳(19歳) |
7月 | 荒芽山の物語 五犬士離散 小文吾、船虫に出会い、馬加大記に軟禁される | 小文吾18歳(20歳) |
秋頃 | 角太郎夫婦、親の看病のため床立ち | 大角17歳(19歳) |
紅葉が色づく頃 | 現八 京都につく | 現八18歳(20歳) |
1479年(文明十一年) | ||
年の初め | 現八 京で道場を開く | 現八19歳(21歳) |
4月頃 | 旦開野 石浜城にやってくる | |
5月14日 | 小文吾、旦開野と夫婦約束 | |
5月15日 | 対牛楼の仇討 | 毛野13歳(15歳)小文吾19歳(21歳) |
数日後? | 毛野。大叔父が住職を務める寺に身を寄せる。以降文明十三年十一月までこの願成院で暮らす。 | |
五十数日後(8月?) | 小文吾 伊豆に船で行こうとしたが難破して伊豆大島に漂着。 | |
2,3ヵ月後(10月~1月?) | 小文吾 船を修理し伊豆大島を出発。また難破し今度は三宅島に漂着。 | 小文吾19歳(21歳) |
1480年(文明十二年) | ||
春 | 角太郎の養父儀清死去 | 大角19歳(21歳) |
七夕 | 現八 仲間達が怨み辛みを言ってくる夢を見る | |
翌朝 | 関東に帰ることを決意 しかし別れを惜しまれなかなか京から出られない | |
八月半ば | 京を出発 | 現八20歳(22歳) |
9月 | 庚申山編 | 大角19歳(21歳) 現八20歳(22歳) 雛衣17歳(19歳) |
その後数ヶ月間 | 旅立ちの準備 | |
初冬頃? | 小文吾 難波に行く高瀬舟に助けてもらう。以降湯治三昧。 | 小文吾20歳(22歳) |
1481年(文明十三年) | ||
春以降~翌年の3月まで | 小文吾は北陸道を旅する。 | 小文吾21歳(23歳) |
2月半ば | 現八・大角旅立つ | 現八21歳(23歳) 大角20歳(22歳) |
10月下旬 | 信乃、甲斐の国を通り銃で撃たれる。 | 信乃21歳(22歳) |
11月 | 甲斐物語の本筋 | 信乃21歳(22歳) 道節22歳(23歳) |
11月 | 毛野の大叔父死去 | 毛野15歳(17歳) |
11月 | 一休宗純死去 | |
1482年(文明十四年) | ||
4月 | 越後で闘牛が行われる | 小文吾22歳(24歳) |
5月 | 小文吾、あんまの振りした船虫に殺されかれる。荘介と再会 | 荘介22歳(24歳) |
6月 | 小文吾・荘介。相模小僧となった毛野と再会 | 毛野16歳(18歳) |
9月半ば | 穂北で現八・大角と信乃・道節再会。穂北郷士も仲間に。 | 現八22歳(24歳) 大角21歳(23歳) 信乃22歳(23歳) 道節23歳(24歳) |
10月半ば | 現八・大角 指月院へ | |
1483年(文明十五年) | ||
1月15日 | 丶大法師の妖怪退治。また素藤叛乱の当日、義通がさらわれる。 | |
1月20日 | 毛野 湯嶋天神で猿を助ける | 毛野17歳(19歳) |
同日夜 | 年長の六犬士再会 船虫と媼内を処刑した後に穂北の郷士たちの船に乗る | |
1月21日 | 鈴の森の戦い・五十子城攻め 年長の六犬士 毛野と再会 | 道節・現八・小文吾・荘介23歳(25歳) 信乃・大角22歳(24歳) 毛野17歳(19歳) 孝嗣約20歳 |
2月下旬 | 親兵衛、下山。館山城を落とす。 | 親兵衛7歳(9歳) |
5月上旬 | 八犬士、里見家に入り正式な家臣となる。 | 道節・現八・小文吾・荘介23歳(25歳) 信乃・大角22歳(24歳) 毛野17歳(19歳) 親兵衛7歳(9歳) |
7月中旬~12月の初めまで | 親兵衛、上洛。 | 親兵衛7歳(9歳) |
12月8日 | 対管領戦最大の戦い。 | 道節・現八・小文吾・荘助24歳(25歳) 信乃・大角23歳(24歳) 毛野18歳(19歳) 親兵衛8歳(9歳) |
1484年(文明十六年) | ||
6月 | 八犬士・丶大・照文ら、上洛 | 道節・現八・小文吾・荘助24歳(26歳) 信乃・大角23歳(25歳) 毛野18歳(20歳) 親兵衛8歳(10歳) |
9月 | 八犬士と八姫の縁組 | |
1485年(文明十七年) | ||
2月 | 八犬士と八姫の結婚。 | 道節・現八・小文吾・荘助25歳(27歳) 信乃・大角24歳(26歳) 毛野19歳(21歳) 親兵衛9歳(11歳) |
夏 | 孝嗣 安房を巡る。途中で政木狐の化石が降ってくる。 | 孝嗣約22歳 |
中略 | ||
1500年(明応九年) | ||
4月16日 | 四天王像開眼。この頃既に八犬士のあざは完全に消えている。 | 年長の犬士は40歳前後。 |
約20年後 | ||
60歳を過ぎた犬士達は富山に入る。 | 60歳過ぎくらい。 | |
八犬士は約20年間、富山で暮らした。 |
1478年(文明十年) |
八犬士列伝本格スタートの年 |
春 |
見八獄舎長に転属 しかしすぐに辞表を提出、獄に繋がれる 現八18歳(20歳) |
6月 |
円塚山の戦い・芳流閣の決戦・古那屋の悲劇などが起こる 信乃17歳(19歳) 荘助・道節・現八・小文吾18歳(20歳) 親兵衛2歳(4歳) 房八20歳(22歳) 沼藺17歳(19歳) |
7月 |
荒芽山の物語 五犬士離散 小文吾、船虫に出会い、馬加大記に軟禁される 小文吾18歳(20歳) |
秋頃 |
角太郎夫婦、親の看病のため床立ち 大角17歳(19歳) |
紅葉が色づく頃 |
現八 京都につく 現八18歳(20歳) |
1479年(文明十一年) |
年の初め |
現八 京で道場を開く 現八19歳(21歳) |
4月頃 |
旦開野 石浜城にやってくる |
5月14日 |
小文吾、旦開野と夫婦約束 |
5月15日 |
対牛楼の仇討 毛野13歳(15歳) 小文吾19歳(21歳) |
数日後? |
毛野。大叔父が住職を務める寺に身を寄せる。以降文明十三年十一月までこの願成院で暮らす。 |
五十数日後(8月?) |
小文吾 伊豆に船で行こうとしたが難破して伊豆大島に漂着。 |
2,3ヵ月後(10月~11月?) |
小文吾 船を修理し伊豆大島を出発。また難破し今度は三宅島に漂着。 小文吾19歳(21歳) |
1480年(文明十二年) |
春 |
角太郎の養父儀清死去 大角19歳(21歳) |
七夕 |
現八 仲間達が怨み辛みを言ってくる夢を見る |
翌朝 |
関東に帰ることを決意 しかし別れを惜しまれなかなか京から出られない |
八月半ば |
京を出発 現八20歳(22歳) |
9月 |
庚申山編 大角19歳(21歳) 現八20歳(22歳) 雛衣17歳(19歳) |
その後数ヶ月間 |
旅立ちの準備 |
初冬頃? |
小文吾 難波に行く高瀬舟に助けてもらう。以降湯治三昧。 小文吾20歳(22歳) |
1481年(文明十三年) |
春以降~翌年の3月まで |
小文吾は北陸道を旅する。 小文吾21歳(23歳) |
2月半ば |
現八・大角旅立つ 現八21歳(23歳) 大角20歳(22歳) |
10月下旬 |
信乃、甲斐の国を通り銃で撃たれる。 信乃21歳(22歳) |
11月 |
甲斐物語の本筋 信乃21歳(22歳) 道節22歳(23歳) |
11月 |
毛野の大叔父死去 毛野15歳(17歳) |
11月 |
一休宗純死去 |
1482年(文明十四年) |
4月 |
越後で闘牛が行われる 小文吾22歳(24歳) |
5月 |
小文吾、あんまの振りした船虫に殺されかれる。荘介と再会 荘介22歳(24歳) |
6月 |
小文吾・荘介。相模小僧となった毛野と再会 毛野16歳(18歳) |
9月半ば |
穂北で現八・大角と信乃・道節再会。穂北郷士も仲間に。 現八22歳(24歳) 大角21歳(23歳) 信乃22歳(23歳) 道節23歳(24歳) |
10月半ば |
現八・大角 指月院へ |
1483年(文明十五年) |
1月15日 |
丶大法師の妖怪退治。また素藤叛乱の当日、義通がさらわれる。 |
1月20日 |
毛野 湯嶋天神で猿を助ける 毛野17歳(19歳) |
同日夜 |
年長の六犬士再会 船虫と媼内を処刑した後に穂北の郷士たちの船に乗る |
1月21日 |
鈴の森の戦い・五十子城攻め 年長の六犬士 毛野と再会 道節・現八・小文吾・荘介23歳(25歳) 信乃・大角22歳(24歳) 毛野17歳(19歳) 孝嗣約20歳 |
2月下旬 |
親兵衛、下山。館山城を落とす。 親兵衛7歳(9歳) |
5月上旬 |
八犬士、里見家に入り正式な家臣となる。 道節・現八・小文吾・荘介23歳(25歳) 信乃・大角22歳(24歳) 毛野17歳(19歳) 親兵衛7歳(9歳) |
7月中旬~12月の初めまで |
親兵衛、上洛。 親兵衛7歳(9歳) |
12月8日 |
対管領戦最大の戦い。 道節・現八・小文吾・荘助24歳(25歳) 信乃・大角23歳(24歳) 毛野18歳(19歳) 親兵衛8歳(9歳) |
1484年(文明十六年) |
6月 |
八犬士・丶大・照文ら、上洛 道節・現八・小文吾・荘助24歳(26歳) 信乃・大角23歳(25歳) 毛野18歳(20歳) 親兵衛8歳(10歳) |
9月 |
八犬士と八姫の縁組 |
1485年(文明十七年) |
2月 |
八犬士と八姫の結婚。 道節・現八・小文吾・荘助25歳(27歳) 信乃・大角24歳(26歳) 毛野19歳(21歳) 親兵衛9歳(11歳) |
夏 |
孝嗣 安房を巡る。途中で政木狐の化石が降ってくる。 孝嗣約22歳 |
中略 |
1500年(明応九年) |
4月16日 |
四天王像開眼。この頃既に八犬士のあざは完全に消えている。 年長の犬士は40歳前後。 |
約20年後 |
60歳を過ぎた犬士達は富山に入る。 60歳過ぎくらい。 |
八犬士は約20年間、富山で暮らした。 |