康平六年(1063年) | ||
3月甲酉 | 源朝臣義家、鶴の足に金の札を付けて放つ。 | |
仁平元年(1151年) | ||
ある日 | 為朝。新院の御所で矢を受け止めるも、九州へ下される。 | 為朝13歳。 |
仁平二年(1152年) | ||
為朝。九州で須藤重季と共に過ごす。 | ||
仁平三年(1153年) | ||
ある日 | 為朝。紀平治・山雄・野風と出会う。 | 為朝15歳。紀平治30余り。 |
久寿元年(1154年) | ||
弥生 | 蟒蛇を退治し珠を得る。鶴を助け猴を倒し白縫と結婚。 | 為朝16歳。白縫16歳。 |
その後一年くらいの間 | 為朝。九州を平定し鎮西八郎となる。 | |
久寿二年(1155年) | ||
春 | 為朝。鶴を求めて琉球へ。 | |
約3ヵ月後 | 寧王女と出会う。 | 為朝17歳。 |
保元元年(1156年) | ||
7月 | 保元の乱起きる。為朝落ち武者に。 | |
7月23日 | 九州の屋敷も襲撃される。皆バラバラに。 | |
8月 | 後白河院の前に引っ立てられ伊豆大島に流刑される。この時、本土では白縫と紀平治が合流。 | 為朝18歳。簓江17歳。 |
保元二年(1157年) | ||
春 | 伊豆大島の代官・忠重を家来にし、娘の簓江を妻にする。やがて伊豆諸島の全てを従える。 | 為朝19歳。 |
(3年の間) | 為朝と簓江との間に子供が3人生まれる。注3: | |
保元三年(1158年) | ||
為朝。伊豆大島を従える。 | 為朝20歳。 | |
平治元年(1159年) | ||
12月 | 平治の乱起きる。平清盛が権力を握り、源氏は没落。 | 為朝21歳。 |
白縫、志適わず海辺で暮らし始める。紀平治は近くの山で炭を作って売っていた。 | 白縫21歳。 | |
永暦元年(1160年)~長寛元年(1163年) | ||
特に何も無く皆それぞれの生活を送る。 | ||
長寛二年(1164年) | ||
8月下旬 | 新院こと崇徳上皇、魔道に入る。その際、白縫に色々助言する。 | 為朝26歳。白縫26歳。 |
前篇終了 | ||
後篇開始 | ||
永萬元年(1165年) | ||
3月 | 為朝。伊豆の島々を巡り見る事を思い立つ。やがて女護島へ赴き、長女と結婚。 | |
年の瀬 | 為朝と長女の間に双子の息子が生まれる。 | 為朝27歳。長女18,9歳。 |
仁安元年(1166年) | ||
年明け | 為朝。男の嶋へ渡り、鬼夜叉と出会う。 | |
四月下旬 | 大嶋に帰還。忠重を成敗。 | 為朝28歳。 |
仁安二年(1167年)~嘉應元年(1169年) | ||
省略 | ||
嘉應二年(1170年) | ||
正月廿二日 | 為丸元服。 | 為丸9歳。 |
4月以降のある日 | 遠縁足利義康の部下がやってきたので朝稚を養子に出す。 | |
4月下旬 | 茂光が攻めてくる。 | |
為朝と嶋君。数ヶ月間、船の上で過ごす。 | ||
秋の頃 | 嶋君を親族の宮司に養女に出す。その後、崇徳上皇や保元の乱で死んだ家族と出会う。 | |
12月下旬 | 為朝。白縫・紀平治と再会。 | 為朝32歳。白縫32歳。紀平治50過ぎ。 |
承安元年(1171年) | ||
秋 | 為朝と白縫の間に嫡男舜天丸誕生。またなんか鶴が来る。 | 為朝33歳。白縫33歳。 |
承安二年(1172年)~安元元年(1175年) | ||
省略 | ||
安元二年(1176年) | ||
朝稚。義康の実子扱いで何不自由なく育つ。両親に会いに行く。 | ||
8月15日 | 平清盛を討つため一同出発。 | 為朝38歳。朝稚13歳。舜天丸6歳。 |
後篇終了 | ||
續篇開始 | ||
安元二年(1176年)続き | ||
8月15日 | 嵐に合い船が沈む。 | |
大和篇終了。琉球篇へ |
康平六年(1063年) |
3月甲酉 |
源朝臣義家、鶴の足に金の札を付けて放つ。 |
仁平元年(1151年) |
ある日 |
為朝。新院の御所で矢を受け止めるも、九州へ下される。為朝13歳。 |
仁平二年(1152年) |
為朝。九州で須藤重季と共に過ごす。 |
仁平三年(1153年) |
ある日 |
為朝。紀平治・山雄・野風と出会う。為朝15歳。紀平治30余り。 |
久寿元年(1154年) |
弥生 |
蟒蛇を退治し珠を得る。鶴を助け猴を倒し白縫と結婚。為朝16歳。白縫16歳。 |
その後一年くらいの間 |
為朝。九州を平定し鎮西八郎となる。 |
久寿二年(1155年) |
春 |
為朝。鶴を求めて琉球へ。 |
約3ヵ月後 |
寧王女と出会う。為朝17歳。 |
保元元年(1156年) |
7月 |
保元の乱起きる。為朝落ち武者に。 |
7月23日 |
九州の屋敷も襲撃される。皆バラバラに。 |
8月 |
後白河院の前に引っ立てられ伊豆大島に流刑にされる。この時、本土では白縫と紀平治が合流。為朝18歳。簓江17歳。 |
保元二年(1157年) |
春 |
伊豆大島の代官・忠重を家来にし、娘の簓江を妻にする。やがて伊豆諸島の全てを従える。為朝19歳。 |
(3年の間) |
為朝と簓江との間に子供が3人生まれる。注3: |
保元三年(1158年) |
為朝。伊豆大島を従える。為朝20歳。 |
平治元年(1159年) |
12月 |
平治の乱起きる。平清盛が権力を握り、源氏は没落。為朝21歳。 |
白縫、志適わず海辺で暮らし始める。紀平治は近くの山で炭を作って売っていた。白縫21歳。 |
永暦元年(1160年)~長寛元年(1163年) |
特に何も無く皆それぞれの生活を送る。 |
長寛二年(1164年) |
8月下旬 |
新院こと崇徳上皇、魔道に入る。その際、白縫に色々助言する。為朝26歳。白縫26歳。 |
前篇終了 |
後篇開始 |
永萬元年(1165年) |
3月 |
為朝。伊豆の島々を巡り見る事を思い立つ。やがて女護島へ赴き、長女と結婚。 |
年の瀬 |
為朝と長女の間に双子の息子が生まれる。 為朝27歳。長女18,9歳。 |
仁安元年(1166年) |
年明け |
為朝。男の嶋へ渡り、鬼夜叉と出会う。 |
四月下旬 |
大嶋に帰還。忠重を成敗。為朝28歳。 |
仁安二年(1167年)~嘉應元年(1169年) |
省略 |
嘉應二年(1170年) |
正月廿二日 |
為丸元服。為丸9歳。 |
4月以降のある日 |
遠縁足利義康の部下がやってきたので朝稚を養子に出す。 |
4月下旬 |
茂光が攻めてくる。 |
為朝と嶋君。数ヶ月間、船の上で過ごす。 |
秋の頃 |
嶋君を親族の宮司に養女に出す。その後、崇徳上皇や保元の乱で死んだ家族と出会う。 |
12月下旬 |
為朝。白縫・紀平治と再会。為朝32歳。白縫32歳。紀平治50過ぎ。 |
承安元年(1171年) |
秋 |
為朝と白縫の間に嫡男舜天丸誕生。またなんか鶴が来る。為朝33歳。白縫33歳。 |
承安二年(1172年)~安元元年(1175年) |
省略 |
安元二年(1176年) |
朝稚。義康の実子扱いで何不自由なく育つ。両親に会いに行く。 |
8月15日 |
平清盛を討つため一同出発。 為朝38歳。朝稚13歳。舜天丸6歳。 |
後篇終了 |
續篇開始 |
安元二年(1176年)続き |
8月15日 |
嵐に合い船が沈む。 |
大和篇終了。琉球篇へ |