| 康平六年(1063年) |
| 3月甲酉 |
| 源朝臣義家、鶴の足に金の札を付けて放つ。 |
| 仁平元年(1151年) |
| 春 |
| 寧王女。女性の額に入れぼくろをする悪習を嘆き、神々や父王に訴えて手の入墨へ風習を変えさせる。寧王女12歳。 |
| ある日 |
| 為朝。新院の御所で矢を受け止めるも、九州へ下される。為朝13歳。 |
| 仁平二年(1152年) |
| 為朝。九州で須藤重季と共に過ごす。 |
| 仁平三年(1153年) |
| ある日 |
| 為朝。紀平治・山雄・野風と出会う。為朝15歳。紀平治30余り。 |
| ある日 |
| 尚寧王、寧王女を世継ぎにする事を決める。寧王女14歳。中婦君30過ぎ。毛國鼎30過ぎ。尚寧王50過ぎ。 |
| 久寿元年(1154年) |
| 春 |
| 阿公により海山は荒れ、寧王女は鎮める為にいけにえになろうとする。その際に真鶴と出会う。 |
| 吉日 |
| 真鶴のいけにえ騒ぎ。 |
| 次の日 |
| 王はミヅチの塚を暴き、矇雲國師と出会う。 |
| 十数日後 |
| 王はミヅチの塚を暴き、矇雲國師と出会う。 |
| 十数日後 |
| 琉と球の珠のうち一方が無くなる。寧王女15歳。真鶴15歳。 |
| 弥生 |
| 蟒蛇を退治し珠を得る。鶴を助け猴を倒し白縫と結婚。為朝16歳。白縫16歳。 |
| その後一年くらいの間 |
| 為朝。九州を平定し鎮西八郎となる。 |
| 久寿二年(1155年) |
| 春 |
| 為朝。鶴を求めて琉球へ。 |
| 約3ヵ月後 |
| 寧王女と出会う。 |
| 春~夏頃 |
| 寧王女・廉夫人、大和から来た為朝と出会う。 |
| 寧王女・廉夫人、中城(東宮)に押し込められる。仕えるものは真鶴1人。寧王女16歳。為朝17歳。 |
| その後。中婦君と利勇はますます国政を牛耳り、矇雲國師は神通力で物を盗みまくるが民は申しだせない。そのうちに阿公も呼び戻す。 |
| 保元元年(1156年) |
| 7月 |
| 保元の乱起きる。為朝落ち武者に。 |
| 7月23日 |
| 九州の屋敷も襲撃される。皆バラバラに。 |
| 8月 |
| 後白河院の前に引っ立てられ伊豆大島に流刑にされる。この時、本土では白縫と紀平治が合流。為朝18歳。簓江17歳。 |
| 保元二年(1157年) |
| 春 |
| 伊豆大島の代官・忠重を家来にし、娘の簓江を妻にする。やがて伊豆諸島の全てを従える。為朝19歳。 |
| (3年の間) |
| 為朝と簓江との間に子供が3人生まれる。注3: |
| 保元三年(1158年) |
| 為朝。伊豆大島を従える。為朝20歳。 |
| 平治元年(1159年) |
| 12月 |
| 平治の乱起きる。平清盛が権力を握り、源氏は没落。平治の乱起きる。為朝21歳。 |
| 白縫、志適わず海辺で暮らし始める。紀平治は近くの山で炭を作って売っていた。白縫21歳。 |
| 永暦元年(1160年) |
| 特に何も無く皆それぞれの生活を送る。 |
| 応保元年(1161年) |
| ある夜 |
| 陶松壽と真鶴の結婚。寧王女・真鶴22歳。陶松壽20歳。 |
| 応保二年(1162年)~長寛元年(1163年) |
| 特に何も無く皆それぞれの生活を送る。 |
| 長寛二年(1164年) |
| 8月下旬 |
| 新院こと崇徳上皇、魔道に入る。その際、白縫に色々助言する。為朝26歳。白縫26歳。 |
| 永萬元年(1165年) |
| 3月 |
| 為朝。伊豆の島々を巡り見る事を思い立つ。やがて女護島へ赴き、長女と結婚。 |
| 年の瀬 |
| 為朝と長女の間に双子の息子が生まれる。為朝27歳。長女18,9歳。 |
| 仁安元年(1166年) |
| 年明け |
| 為朝。男の嶋へ渡り、鬼夜叉と出会う。 |
| 四月下旬 |
| 大嶋に帰還。忠重を成敗。為朝28歳。 |
| 仁安二年(1167年)~嘉應元年(1169年) |
| 省略 |
| 嘉應二年(1170年) |
| 正月廿二日 |
| 為丸元服。為丸9歳。 |
| 4月以降のある日 |
| 遠縁足利義康の部下がやってきたので朝稚を養子に出す。 |
| 4月下旬 |
| 茂光が攻めてくる。 |
| 為朝と嶋君。数ヶ月間、船の上で過ごす。 |
| 秋の頃 |
| 嶋君を親族の宮司に養女に出す。その後、崇徳上皇や保元の乱で死んだ家族と出会う。 |
| 12月下旬 |
| 為朝。白縫・紀平治と再会。為朝32歳。白縫32歳。紀平治50過ぎ。 |
| 計算によると琉球首里城の矇雲クーデター及び王女と為朝合流はこの年になるのだが。注4:寧王女31歳。 |
| 承安元年(1171年) |
| 秋 |
| 為朝と白縫の間に嫡男舜天丸誕生。またなんか鶴が来る。為朝33歳。白縫33歳。 |
| 承安二年(1172年)~安元元年(1175年) |
| 省略 |
| 安元二年(1176年) |
| 朝稚。義康の実子扱いで何不自由なく育つ。両親に会いに行く。 |
| 8月15日 |
| 平清盛を討つため一同出発。為朝38歳。朝稚13歳。舜天丸6歳。 |
| 同日 |
| 嵐に合い船が沈む。 |
| 数日間 |
| 為朝、天狗に介抱される。 |
| ある日 |
| 尚寧王、中婦君に向かい「家臣達からそろそろ世継ぎを決めろと催促されている。どうしたものか」と相談する。 |
| 次の日(9月2日) |
| 矇雲國師を呼ぶ。矇雲「そろそろ中婦君に王子が生まれるだろう」という。矇雲の幻術に騙された尚寧王。中城(東宮)に派兵。 |
| 同日 |
| 白縫が寧王女に乗り移る。白縫王女、査國吉と合流。猟者夫婦に助けられる。 |
| 同日 |
| 毛國鼎討たれる。臨月の新垣と鶴と亀は落ち延びる。 |
| 同日 |
| 為朝。佳奇呂麻嶋に漂着する。 |
| 数日後 |
| 阿公に新垣の赤ん坊が奪われる。 |
| 9月7日 |
| 中婦君が王子を出産したと言われる。 |
| 4,50日後。吉日 |
| 王子誕生の祝賀会。矇雲、禍獣を首里に連れてきてクーデターを起こす。 |
| 同日 |
| 利勇。中山王子を連れて南風原の城に立てこもる。阿公を王子の使にして松壽を軍師にする。 |
| 次の日 |
| 矇雲法君が差し出した禍獣と王女討伐隊が王女を見つけるも、王女は小琉球へ落ち延びる。 |
| そのまた次の日の暁 |
| 王女と鶴と亀、小琉球に到着。 |
| 3日後(10月20日あまり) |
| 鶴と亀が捕らえられるも王女、為朝と合流。賊と禍獣を討ち取る。為朝・白縫38歳。寧王女31歳(37歳)。 |
| 次の日 |
| 矇雲法君。鶴と亀に虚実織り交ぜ利勇を討つように命じる。 |
| 数日後 |
| 為朝、利勇のいる南風原城につく。利勇と3日の期限で3つの約束をする。 |
| 10月下旬 |
| 為朝と鶴と亀合流。 |
| 3日の期限の翌日 |
| 為朝、鷲と熊2頭と海棠をしょって南風原城につき利勇の部下となる。 |
| その後、大里という領地を与えられ、そこの按司となる。白縫王女を妻に貰い、しばらく大里で年月を過ごす。一方南風原の城では利勇が海棠の意のままになり好き放題やっている。 |
| 両三年後 |
| 治承二年(1178年) |
| 為朝。そろそろ矇雲を討たないかと利勇に手紙を出すが無視られる。 |
| 松壽。海棠に骨抜きにされる利勇に愛想を尽かし、自分の領地である東風平に引きこもるようになる。為朝・白縫40歳。寧王女33歳(39歳)。松壽31歳(37歳)。 |
| 更に4年後 |
| 養和元年(1181年) |
| 王子が6歳になったので著袴の儀礼を南風原城でする事になる。 |
| その為、為朝と松壽は南風原へ赴くが、反旗を翻し利勇と海棠と討つ。しかし阿公と王子には逃げられる。為朝、南風原城を手に入れる。 |
| 次の日 |
| 大里に帰る。為朝・白縫43歳。寧王女36歳(42歳)。舜天丸11歳(白縫王女曰く12歳)。注5: |
| 寿永元年(1182年) |
| 弥生 |
| 南風原・東風平より為朝へ出兵の要請。一旦は無視。 |
| 9月28日 |
| 矇雲法君を討ちに出陣。敗退した所を船に乗った林大夫に為朝と王女が助けられる。為朝・白縫44歳。寧王女37歳(43歳)。 |
| 寿永元年(1182年) |
| 次の日(9月29日) |
| 巴麻島で鶴の化身の仙童に出会う。その際の、第57回P286の仙童のセリフによると為朝43歳。以下この基準で。注6: |
| その日の未下刻 |
| 姑巴嶋につく。為朝・王女。舜天丸・紀平治と再会。 |
| 次の日 |
| 林大夫1人、佳奇呂麻嶋へ帰る。為朝・白縫王女・舜天丸・紀平治は翌年の弥生まで姑巴嶋に潜む事にする。為朝・白縫43歳。寧王女37歳(43歳)。舜天丸12歳。 |
| 寿永二年(1183年) |
| 弥生 |
| 主従4名。姑巴嶋を出発する。 |
| 夜 |
| 一行、白屋に泊まる事になる。千歳と出会い、松壽と再会。 |
| 3月中旬 |
| 鶴と亀。隠れていた場所から出発。 |
| 3月20日 |
| 鶴と亀、母の仇討ち。為朝一行との合流。 |
| 数日後 |
| 手勢を集め出兵。まず浦添の城を落とす。 |
| 時をおかず(でも4月) |
| 首里に攻め込み矇雲を討つ。 |
| 秋 |
| 國は平和になり、為朝一行は国中を巡る。そのとき高満と小萩を土中から見つけ命名。為朝・白縫44歳。寧王女38歳(44歳)。舜天丸13歳。 |
| 5年後 |
| 文治三年(1187年) |
| 春 |
| 人魚の肉が献上されるもトップが定まってないためたらい回しにあった挙句腐る。 |
| 白縫王女の葬式。 |
| 9月 |
| 為朝、八頭山へ赴き昇天する。 |
| 9月25日(朝) |
| 讃岐國にある崇徳院の山陵の前で謎の武士が切腹する。死体はやがて消える。 |
| 12月 |
| 舜天丸の即位式。号は歓會殿。舜天王。諱は尊敦。為朝・白縫48歳。寧王女42歳(48歳)。舜天王17歳。 |
| 文治四年(1188年) |
| 春 |
| 舜天王。天孫廟を再興したり神社を作ったり色々。 |
| 3月 |
| 鎮西の武士が琉球に軍兵を引き連れてくるが和睦により撤退。 |
| 舜天王18歳。 |
| 後日譚と付録 |
| 後日譚として源平合戦で源氏が勝利する様子を為朝の子供達の活躍と為朝の神通などで説明されるがそこまでカバーできねえ。琉球王朝も孫の代くらいまでは語られる。 |
| 物語が終わった後、付録として為朝を祭った社や廟や神社が大和・琉球と問わず日本各地にある事が綴られている。 |