椿説弓張月。関連書籍(再話作品)感想。児童書編・その2

ここからは管理人が読んだ児童書についての感想です。紹介する順番は著者名50音順にするか出版年順にするか迷いましたが、管理人が読んだ順番にします。

『世界少年少女文学全集44(日本編4)』 林房雄著 創元社 1956年
『弓張月』 彩田あきら著 鶴書房 1955年
『少年読物文庫 弓張月 鎮西為朝外伝』 渋沢青花著 同和春秋社 1954年
『世界名作全集71 弓張月』 高野正巳著 講談社 1954年

『世界少年少女文学全集44(日本編4)』 林房雄著 創元社 1956年

タイトルにあるように、色々な作品が詰め込まれている日本編の文学集だ。

ラインナップは落窪物語・平家物語・中世説話物語・曽我物語・西鶴諸国話・東海道中膝栗毛・弓張月物語で、弓張月の配分は50Pだ。

ページ数は少ないが2段組なので文量はありある。それにしても児童書で2段組はどうなんだろうか。対象年齢が高いのかな?それとも1956年だし文字が大きくあるべきという考え方がなかったのか。

解説の訳者コメント曰く、『わたしは全二十九巻のあらいすじ書きだけをふたたびくりかえすのは無意味と考え、多少とも馬琴の原文の調子をうかがうことのできる読みものにするために、前篇だけをここにとりあげました(以下後篇以降のあらすじ)』

となっている通本編はかなり原作に近い内容になっている。白縫が武藤太の首をはねる場面もある。拷問はしてないが。

ただしよりによって前篇でぶった切っているので、白縫と崇徳院の場面がラストシーンだ。為朝は簓江と結婚し大嶋を治めたところで終わっている。女護ヶ嶋や鬼ヶ嶋も出てきていない。ラストの文章は崇徳院崩御だ。

あとは挿絵が……。『けだかくて、つねの人にはみえない』と書かれていた谷に追われていた頃の寧王女の顔が……。ラストシーンの白縫と崇徳院に全く魔道の気配が無いのでラストの迫力が……。

『弓張月』 彩田あきら著 鶴書房 1955年

昭和30年の本なのでもう国立国会図書館にしかなかったレアな本。しかももう大分古くて破損させないように読むのに気を使った。閲覧室で読んでみたらなんと漫画だった。昭和30年なのに漫画なんだ。やはり絵柄や作風や時折挿入されるギャグは時代を感じさせる。それにしても表紙と中身では絵柄が全く違うな。

死亡や流血や結婚シーンが排除されていてそれなりに改変も多い。八犬伝の時もそうだったが、あんまり同じストーリーを何十冊も読むと時々著者の個性が出ている二次作品が読みたくなるものだ。今回一緒に相互貸借を頼んだ2種類が、いざ読んでみるまで解らなかったのだが実は現代語訳だったので特にそう思う。

余談だが八犬伝の再話作品で大塚村物語を30回くらい(もっとかな?)読むとそろそろ「浜路ってここまで必須のキャラなのかなあ。親兵衛・毛野・大角が消されても浜路はいるし」と疑問になってくる。雛衣はTBSドラマみたいに大角に無茶を言えばいいからたまにはいない時があるし、玉梓が消されるのは児童書では珍しくないのだが、本当に浜路がいない信乃の物語は1回くらいしか見たこと無い。

原作だと結構あっさり退場するから白縫や寧王女ほど絶対必須のキャラとも感じないんだよなあ。もちろん個人的な話だが。

弓張月の話に戻ろう。気になった所は京都にいた頃から為朝が鎮西八郎と自称しているところ。特に九州を平定したシーンも無いのに鎮西八郎と自称しているところ。

大蛇退治の場面で重季と山雄が死なないのはともかく大蛇すら死なず(珠は普通に落としていた)いきなり雷様である一本角の鬼が雲に乗って登場したこと。しかも雷様の太鼓を紀平治が石礫で破った事で雷様が逃げ出して一件落着したこと。

白縫姫は自分より強い兄さんが欲しいと思っていて強そうな男達と武術勝負をしまくって毎回勝っている事(そりゃ白縫なら勝てるだろうが)。しかも阿蘇山のヒヒを退治しようとして白縫が単身山へ乗り込むこと(周囲止めろ!)。それで白縫がヒヒの集団に捕まって危険な目にあった所を為朝に助けてもらって兄妹になったとか。

この漫画は血は極力出さないのだが、4匹のヒヒの両足を為朝が矢で串刺しにして「ムカデ競争みたい」にするのはちょっと怖かった。

ここまででも大概だが特に違っていたのが琉球篇。寧王女が幸せになる改変は見ていて嬉しくなる。

利勇も中婦君もおらず、あくまで矇雲國師と中大臣(おそらくオリキャラ)の謀略により寧王女は山で鶴の見張り番にされる。 九州で大蛇が落とした珠は本物の琉球のどちらかの珠で、晴れて寧王女は宮中に帰る事ができ女王になる。少女時代の寧王女を普通に世に出して女王に付かせるのはなかなか珍しい改変だな。

ちなみに少女時代の寧王女、いや若き琉球王国女王は琉球の珠により矇雲國師を退治し、鶴をパワーアップさせて為朝と紀平治を大和へ期限前に帰還させる。つまり為朝と紀平治は鶴に乗って帰る。封神演義の黄竜真人かな?。

こういう寧王女も私は好きだ。ちなみに尚寧王もちゃんと生きているのだが、かなり話の通じる人物らしい。原作の尚寧王は弓張月一のバカだから、もし尚寧王がまともなら寧王女もさっさと身の振りが固まっただろうな。うん。

ちなみに為朝が帰国してからは保元の乱に巻き込まれて島流しにあうという原作通りのストーリーだ。

ラストが為朝を売った武藤太が村の人々から追い出されるところで終わっていた。為朝は島へ流されっぱなしかよ!島でどんな活躍をしたかは第二部へ!らしいが、あれから53年経ったが第二部が出版された様子は無い。

それにしても琉球篇が為朝が17歳の時点でもう一件落着しているのに一体どんなオチつけるつもりだったんだろう。

『少年読物文庫 弓張月 鎮西為朝外伝』 渋沢青花著 同和春秋社 1954年

原作の後篇までの展開で実に260Pも費やしている。原作の前篇と後篇にある展開は本当に細かいところまで再現している。しかも保元物語からもきちんと引いているため下手すりゃ訳本よりも詳細かもしれない。史実はほぼ設定くらいしか借りず稗史に徹していた八犬伝と違い、弓張月の大和篇は下敷きになった軍記物があるのでどうしてもこうなってしまうのだろう。

私個人としては琉球篇の方が好きだが、児童書の著者には既存の軍記物が好きな人が多いのだろうか。どの本も大和篇がメインだ。

さて、話は元に戻そう。この少年読物文庫の大和篇は本当に忠実だ。白縫が武藤太を拷問するシーンもある。為朝の子供では省かれがちな、にょこの双子の行く末もきちんと書いてある。朝稚の場面もそのままだ。児童書の中ではかなりの再現具合だろう。なにせ大和篇だけで260Pも使っているからだ。

ちなみに琉球篇は27P。それでも原作通りなのがビックリだが当然ながら完全ダイジェストである。

この児童書は昭和29年出版。作者は幼い頃絵本で弓張月をたくさん読んだらしい。……弓張月の絵本?と思って調べたら明治時代にはよく出ていたらしい。私は読めないが、その絵本とかでも琉球篇はよく省かれているのだろうか?(追記:あれから10年以上が経過した現在だと明治時代の出版物は国会図書館のデジタルコレクションでたくさん読めるようになった。でもまだ弓張月を探して読んではいない)

考えてみたら、八犬伝の二次作品で親兵衛の京物語をまともに扱っている物は殆ど無い。対管領戦は2006年TBS正月ドラマでもちょろっと描かれたように近年は何となく増えている気もするけど基本は省略対象だ。八犬伝はよくて素藤戦、場合によっては庚申山で八犬具足せずに終わりかねん。八犬士列伝もかなりダイジェストになったり変更が多かったりする事が多い。

だからせめて大和篇だけでも忠実に書いてあるだけ弓張月は八犬伝より短くてマシなのだろう。しかし琉球篇以降は対管領戦並みの扱いになる。確かに続編に為朝は出てこないし意味で親兵衛の京物語とおんなじなんだけど、この扱いは一体何なんだ。そんなに皆が皆既存の軍記物が大好きなのか!

『琉球篇を書くと沖縄県民から反発が来るんじゃないか?』という意見を何処かで見たけど、そうなのか?確かに異国情緒あふれすぎて日本に見えないけど。でも琉球王朝がああなったのは作品中ではあくまで琉球王朝のお家騒動が原因な訳で、別に為朝が大和の軍勢を率いて攻め込んだわけじゃないけど。例えば舜天丸が王位についたのが朝鮮半島の王朝や中国大陸の皇帝だってんなら、そりゃ永遠の封印作品になるだろうけどあくまで沖縄県なんだから。

それに自主規制の対象になるならそれは近年の方が激しいはずだ。しかし2006年出版の弓張月児童書では下巻丸々使っての琉球篇できちんとお家騒動が書いてあるから……。待てよ。

ああ、今回借りた3作品はいずれも昭和30年前後の出版だ。というか椿説弓張月を翻案した児童書の殆どが昭和40年以前の出版である。この辺は全部読み終わったら一度出版年順に並べるコラムを設けようと思っているが、1977年と2006年出版の児童書にはきちんと琉球篇が大和篇と同じくらいの文量で書かれている。

ちなみに沖縄返還は1972年、昭和に直せば47年だ。椿説弓張月の戦後出版二次創作について書いているコラムなんて見たこと無いので完全なる憶測だが。

もしかして皆が皆既存の軍記物が大好きな訳じゃなくて、琉球篇は書きたくても書けなかったのだろうか?為朝が大和篇で流された島々は小笠原諸島(68年返還)ではなくて伊豆七島だから書けたのだろうか?

“自主規制=近年の方が激しい”のイメージがあったが、沖縄に関しては現在より昭和30年代の頃の方がタブーだったのかもしれない。

これに気づいたのは実はある中学生スポーツ漫画の全国大会篇を見たときだ。そこでは“作中唯一の完全ヒール!南の島から来た刺客。九州地区代表沖縄○○中!”という触れ込みの中学校があった。ネットの掲示板などでは「沖縄代表をヒールにするなど、この作者の感性を疑う!」と散々叩かれていて吃驚した。つっても中学生テニス漫画なんだからヒールでも高は知れているんだが、今の時代この程度でも沖縄を悪く描いたら叩かれるのかと思ったな。

ちなみにその沖縄代表中学校のヒールっぷりはラフプレーをする、ウチナーグチで対戦相手を罵倒する、試合中に対戦校のか弱い老監督にミスのふりをしてボールをぶつけて病院送りにさせるといった作者公認のヒール全開だ。
 ちなみに普段の生活は理不尽なシゴキに耐えて強くなり沖縄の名を全国に広めようとする中学生達で悪いこと何にもしていない。絶対そこら辺の不良漫画のキャラの方が悪人だと思うのだが、メジャー誌の中学生テニス漫画に登場するスポーツ選手ともなればある意味で八犬士並みに品行方正さが要求されるから……

もっとも、それは掲示板で叩かれていたというだけなんだが。その証拠に殆どのファンは気にしていなかったし、その沖縄代表中学校は“南の島から来た刺客”の触れ込みのままアニメ化ゲーム化舞台化まで果たした。CD化も果たしたがあれはヒール曲ではなくてただの沖縄イメージソングだったが別に自主規制という訳でもないだろう。

その中学生スポーツ漫画は21世紀の漫画で、キャラクターどころか演じている沖縄出身役者ですら生まれた時からの日本国籍だ。作中キャラの誰もが別に気にしていなかった。

しかしこういう事が出来てあまつさえ問題なくアニメ化ゲーム化舞台化できるのも現代だからこそで、昭和30年代はきっとそうもいかなかったろう。そもそもその時代は沖縄の中学生スポーツマンは日本の大会に出場できたのだろうか?

戦後出版された椿説弓張月二次作品もきっとそうだろう。琉球篇が書けるのも現代だからであり、昭和30年代はきっとそうもいかなかったのではないのだろうか?“自主規制=近年の方が激しい”のイメージは、沖縄に関しては当てはまらないのかもしれない。

ここまで言っておいて次に読む昭和29年と33年の本に思いっきり琉球篇が書いてあったら恥だが。あと個人的な話だが椿説弓張月の琉球篇登場人物はウチナーグチを喋っているイメージはあんまりわかない。なんか古典広東語を喋ってそう。

『世界名作全集71 弓張月』 高野正巳著 講談社 1954年

さて上に引き続いて昭和29年の児童書だが、北海道の図書館から相互貸借されてきたのには驚いた。椿説弓張月なのに何かと北海道と縁があるなあ。というのは置いておいて肝心の琉球篇であるがほぼ全篇に渡ってカットされている。

続篇以降がカットされているのはいつもの事だが、為朝17歳の時に鶴を探して寧王女と出会った挿話すら無くなっている。いや正確に言うなら、あるにはあるんだ。しかしオリジナルキャラ?である為朝の琉球出身の部下が信西に口からでまかせで話した作中作の扱いになっている。

そういう訳で寧王女が「大和の上皇を矇雲様にお願いして殺してもらいましょうか」なんて言う凄いキャラになっている。それにしても薄々思っていた事だが、『商人に化けて琉球に渡ったら宮中を追われた王女(しかも現国王の一粒種)に出会って目的を達する』って物凄い勢いで嘘っぽい話だな。今回作中作の扱いになったので特にそう思った。信西もあっさり騙されるなよ。

という訳で琉球篇はカットされている昭和29年出版の本だが、この人の場合はタブー云々というより本当に既存の軍記物大好きな人なのだろう。『わたくしは、この物語を書くにあたって、馬琴の椿説弓張月をもととし、それに保元物語、平治物語、平家物語などを参考にして、さらに、わたくし自身の空想をも加えました。』だそうだ。

馬琴先生は既存の軍記物の焼き直しにならない話を書いてくださって本当に良かった。例え伝聞系でも源平合戦の話が出てきたら、私もう人物辞典や年表なんか作れなかったよ。

この話は椿説弓張月大和篇の重要展開はきちんと拾ってあるものの、基本はオリジナル展開にオリジナルキャラの部下が出てくる。

この話では為朝の部下は7人いて、うち1人は紀平治で1人は鬼夜叉だが他の5人は為朝二十八騎の中から取っているのかな?たぶん名前だけ借りていて他の設定はほぼオリジナルだろう。あまりにもキャラが立ちすぎている。

個人的な話だが、このまま全ての児童書が琉球篇をダイジェストにして大和篇はわりと原作に忠実な展開ばかりだったら、そろそろレビューのネタがなくなるので困っていたところだ。それ以前に読み飽きる。

八犬伝は八犬具足までを考えてもあまりにも長編過ぎるので、二次作品でもダイジェストにするにしろオリジナルを入れるにしろ著者の個性が出るぶっ飛んだ物が多い。だから何十種類と読んでもまあそんなに飽きない。伏姫神話と大塚村物語はそろそろ飽きたかもしれないが。

しかし弓張月の大和篇のみと考えると30回分くらいなので忠実に作りやすいのかコメントに困る秀作ばかりになる。ぶっ飛んだ突込みどころ満載の二次作品がない所も八犬伝と弓張月の違いかもしれない。せめて映像化されればもう少し面白い物が出来たと思うが。

私は二次作品に何を期待しているのかと思われそうだが、少なくとも原作に忠実な展開はそんなに望んでいないかな。原作に忠実な話が読みたきゃ原作か訳本読むよ。訳本にオリジナル展開を入れたり二次作品のエピソードが原作面しているのは大嫌いだが、二次作品は二次作品で好きなようにやれば良いんじゃね?

八犬伝で言うなら角川映画版や碧也版が人気あるのは解るし別に良いと思うが・・・、ネット上を見るとある一部の角川映画版のファンは純粋に無知としても一部の碧也版ファンがこの漫画を学習漫画並みに原作に忠実!馬琴先生の遺志を継ぐ!な扱いしていたのには吃驚した。いくらなんでもそれはない。碧也版に限らず、私は玉梓が八房に転生せずに悪の総大将をやっている時点で相当別物だと思う。私が訳本読んでいた時はあまりにも出番無さ過ぎで玉梓の存在忘れていたもの。

封神演義の時も狭量な原作信者と思われた経験は何度かあるが、何て言うのかな。『古典を改竄するのは許されるとは思わない。でも二次作品なら好きなようにやったら?著作権切れてんだし』というスタンスです。この辺の違いがイマイチ理解されづらいんだよな。

封神演義の安能版はちょっと次元が違うので八犬伝の話をするが、玉梓が小説なり漫画なり映像作品なりでラスボスクラスのキャラになる事自体は何とも思わない。けれども「玉梓が伏姫並みに力を持つ悪女である事が正しい!そうでない作品は間違っている!そして彼女は男社会の犠牲者なんだ!」というような論調が曲がり通っているのは嫌だ。それじゃあまず馬琴先生の原作からして間違いになる。

話を弓張月に戻そう。この児童書の肝心の内容であるが、昭和29年なので為朝の部下にもかたわ者とか流浪の民などが登場する。いずれも外見にかなりの特徴を持っており、昨今の美形キャラばかりの主人公一派を思うと新鮮な気持ちになる。八犬士は美形ばかりでも良いんだけどね。原作でもそんな感じだから。

ストーリーは原作の重要展開を追っている事以外はオリジナルが多い。それにしても稀に見るハッピーエンドである。

為朝の妻は白縫1人。簓江は15,6人の部下達と共に秘密裏に大嶋に渡った白縫の別名である。にょこらしき少女は出てくるが、女護ヶ嶋自体が男女共に暮らす嶋になっているので結婚する必要は無い。

女護ヶ嶋は男女共に暮らす嶋だが、男達は12,3歳の時から1年の半分は南の海に鯨狩りに行っており、それより幼い男の子は女の服装をさせるため女ばかりの嶋になっているという設定だ。為朝は彼らに農作を教えたため敬まわれた。

大嶋に鬼夜叉を連れて帰り、鳥船を作るなどして活躍するも鬼夜叉は他の為朝一派とは違い途中で故郷の女護ヶ嶋に帰っている。もちろん大嶋で自害などしない。

鳥船というのはトンボのような形をした物で、鬼夜叉はこれを一晩で作り7歳の朝稚はこの操縦をその日の昼までに習得して伊豆の本土に飛び立っている。この話の朝稚が一番子供らしいというかなんと言うか、結構好きだ。

朝稚は最初のうちは関東の足利の家に匿われていたが、やがて為朝の部下の働きにより九州で両親や兄妹に再会できたのである。

ちなみに為朝の妻は白縫1人である以上、為丸・朝稚・嶋君も白縫の子である。双子や舜天丸は登場しない。

それにしても以前もこの3人が白縫の子である本があったが、大嶋へは渡り易いのか?それなら流罪になった崇徳上皇を盗み出すなんていう大それた事を考えずに、大人しく紀平治も白縫も大嶋へ渡って為朝に再会すれば良いのではないか。それとも原作では流罪になった崇徳上皇を盗み出すよりも大嶋へ人知れず渡るの方が難しいのか?難しいんだろうな。

さて、ここでこの話における為朝一派の話をしよう。まず為朝には九州時代からの部下が紀平治も含め6人いる。白縫には八代と腰元が何人かいる(大宰府襲撃で野風は亡くしたが八代は生き延びた)彼らは計15,6人おり、秘密裏に大嶋に渡ってからは嶋人に混じって生活していた。そして為丸・朝稚・嶋君が生まれる。

やがて大嶋は襲撃され一旦別れるが、この計20人は誰も欠ける事無く九州で再会を果たす。初めは源氏として平氏を打ち破る計画も出されたが、それは他人に任せる事にした。

彼らが目指したのは新天地琉球!仲間の1人に琉球出身のものがいるし、この話の琉球は寧王女や矇雲國師の話は作中作である為おそらく平和だろう。この計20人を乗せた船は一旦嵐にあうものの無事に乗り越え、見事琉球の土地は目の前にあるのであった。

部下のキャラが立っているし、なかなか面白い弓張月だった。